暮らしのなかのお菓子

文豪・夏目漱石の最愛の菓子

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

この書き出しではじまる夏目漱石の『草枕』には、羊羹について有名な一節があり、次のように書かれています。

菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。

別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。

西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色は一寸柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。
(『草枕』より)

舌で味わうのはもちろんのこと、目でも味わい楽しむ。
静謐な表現ながらも、羊羹を激賞する言葉のひとつひとつに、甘味への深い愛情がうかがえます。

夏目漱石に限らず、森鴎外や川端康成、芥川龍之介など明治の文豪の多くは、無類の甘党として知られています。
甘味に関して記した作品を繙いてみるのも、一興かもしれません。