暮らしのなかのお菓子

「和菓子の日」の由来

「和菓子の日」は、長い歴史に根ざした「嘉祥の日」「嘉祥菓子」に因んで制定されたものです。
平安時代(八四八年)、仁明天皇が御神託に基づいて元号を嘉祥と改め、六月十六日に十六の数に因んだ菓子や餅などを神に供えて疫病除け、健康招福を祈った古例に始まると言われています。

また、後嵯峨天皇(1220-1271)が東宮になられる前に、六月十六日に通貨十六枚で供御の物を求めて献ったのを古例として、のち践祚の後もこのことが行われたとあります。

その後、時代を経て江戸時代には通貨「嘉定通宝」の嘉通が「勝つ」に通じることから縁起が良いとされ、六月十六日に嘉定通宝十六枚をもって嘉祥菓子を求め、それを食べると悪魔や災いを祓い、幸を招くとして広く行われました。また、幕府でも嘉祥の賀儀として、五色の団子を二枚の土器に盛って白紙に包み水引をかけて家臣に与えていました。

これらの嘉祥御用記録は明治初期まで続いており、当時は盛大に執り行われた行事であったようです。